写真とは関係がないように見えて、写真の永遠と相対するように、同時に含んでいることでもあるような。
「いかに滅びるか」という言葉と感覚は、死んだり、無くなったり、失っていくことの怖さについて考えているとき。
やっぱり、死ぬことや、失うということは怖いけれど、いつかは無くなるだろうし、失っていく。
だから、生きているということは死に向かい続けているということでもあると思った。
でもどう死んでいくか? ではなく、どう失っていくか? の方が感覚的に近い感じがして。
自然やビルも人も同じ。
写真は「永遠」という概念を作り出せる。
一方で失うこともできるモノだと思う。
写真が無くなったり、消滅するのも写真の役割だと思う。
今はデータか。
データも面白いなぁ。
データはどのように蓄積され滅びていくんだろう?
そのように滅びていくことをイメージしてみると、地に足がついたような感じになる。
人もいつか滅びるんだろうな。
「いかに滅びるか」ということは、良いことでも悪いことでもないニュートラルな感じがする。
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