生命に意味や解釈を与えることによって「生」に意味を持たせようとしている。
死にも言えることで、死に意味や解釈を与えることで、また「生」に意味を持たせる。
それを思った途端に、それ自体がまどろっこしくなるのだが、それすらも「何か」の意味を持たせようとしている。
どこまで行っても入子構造のような浮遊感と自由と同時に、不自由さも感じる。
そして案外、自分の頭の中はそうゆう感じだったなぁと思った。
物心ついた記憶のある年少さんの時だから、3歳ぐらいか。
保育園の運動場に遊具と大きな木があって、その先の晴れの日の空をボーっと眺めていると、入子構造が降ってきた時の感覚に満たされたのを思い出す。
その感覚が自分の中で、たまに起きる現象だったので、これは重要なんだろうなと思っていた。
その先がありそうだけど、言葉にならなくて周りを眺めてみる。
パソコン、部屋、ベッドに降り注ぐ光が柔らかい、、、細かく記述すると大変だからやめておこう、今日は曇りだなぁ。
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