祖父に戦時中の話を聞く。
大正15年生まれだから、終戦の昭和20年の時に二十歳。
戦時中は茨城県の鹿島組というところで、山で鋼鉄を運ぶ作業をしていた。
焼夷弾が街に落ちる光景を山の中から見たという。
三重県の松阪も空襲があり、僕が住んでいる村には昭和20年2月4日に焼夷弾が落ちて、村が焼けたという。
当時は旧暦で正月を祝っていたので、正月に空襲があって、親戚が集まっている中、避難したという。
毎年2月4日になると村のお寺にお坊さんが来て、お経を上げていたと言う。
今はその習慣もなくなり、この村に空襲があったことは祖父の年代の人しか知らない。
戦後は松阪にもアメリカ兵が来たらしく、ジープに乗っていたと言う。
祖父はこれは戦争で負けるはずだと心底思ったと言う。
そして祖父が言うのは戦争の記憶を辿ると、すぐそこにあって近くにあると。
戦時中から戦後、今のような世界になるなんて、誰が想像しただろうかって言う。
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