2020
23
Jul

写真

天の岩戸

車で伊勢と志摩を行き来するためには、山を越える必要があります。

その山の志摩に近い麓に「天の岩戸」があります。

志摩での用事が終わり、軽く神社へ行こという気分のつもりでした。

何の前情報もなしで、何となく行ってみたのですが、そんな甘いものではありませんでした。

車で2km程、山の中に入り、そこから道路を歩いて行くと、天の岩戸があります。

とても大切にされているのがわかる神社で、背筋がピンっと伸びる緊張感のある美しさがあった。

川、滝があり、水がとても美味しかった。

そこから山の奥に登って行く道があります。

どんどん、山の中に入って行きます。

すると猿田彦の森と呼ばれる山道があるのですが、これは登山をする準備をしないと登れなさそうなので辞めておくことにしました。

気軽に行けるところではない場所だということが、やっとわかりました。

その先の風穴と呼ばれる場所までは道もあるので行ってみることにしました。

道があるとはいえど、山の中に入って行き、そもそも本当に神社があるの? という怖さがありました。

ずっと歩いて行くと崖の上にしめ縄を発見したが、木々や草で道がわからなく、倒れた大木があり、そこまでの道を発見するのに時間がかかってしまう程です。

そこは蔓にしめ縄が巻かれており、その奥の穴からは冷房? と思わせる轟音が穴の奥から聞こえてきます。

こわっ! と思ったが、この怖さって何だろう? と思いました。

あれだ、ヴァチカン美術館に行った時の感覚を思い出しました。

ヴァチカン美術館は広過ぎてひとつひとつの美術品を見るには1ヶ月くらいかかるだろうと、思わせるところで。

ヴィチカン美術館の予定を3時間くらいしか取ってなかったので、その美術品の中を散歩することにしました。

そこは厳かな雰囲気で、ただならぬパワーに満ち溢れた場所で、その満足感に疲れ切ってしまったのを覚えています。

天の岩戸の風穴の前で、ヴァチカン美術館に行ったそれと似たような感覚を思い出しました。

同時に、目の前の光景は日本の神話を基に作られたものだから、キリストの世界を表現された絵画と似ているんじゃないか? と思った途端に、僕は美術館に来ているんだと思いました。

美術館に行ったような観察と発見や感受性を発揮している感覚。

神社は美術館だという感じは面白いなぁと自ら思いました。

僕は新しいことを発見した満足感で美術館のような帰り道を歩きました。

 

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