昨日、映画館で「風の谷のナウシカ」を観た。
1983年〜1984年に公開だから自分が生まれた年に公開なんだなぁと思いつつ、当時の空気感は全くわからないけれど、今観るべき映画だと心底思った。
そう思ったのは時代的なことがあるけれど、自分自身の変化が一番大きいと思った。
現代で生きている喜びや違和感、考え、こうするべきなんじゃないか? と生きてきた蓄積が映画を観る視点を与えてくれる。
それが今、映画とリンクしている。
映画の世界観を大きく見ると「自然」「科学」「戦争」「権力」など多くのテーマを含んでいる。
そして細部の演出が映画のリアリティを支えている。
例えば、風の谷の人たちは、心豊かな表情があるかと思えば、自分たちにとっての悪は消し去るという暴力性を持ち合わせている。
だから結局はトルメキアやペジテの人と変わらない人間だし、それはまさに自分でもあり、僕が見てきた人間だ。
そして自分をナウシカの登場人物に例えると、ペジテの船の中のひとりなんだろうな。
また冒頭で涙ぐんでしまったのが、テト(キツネリス)がナウシカに心を許す描写のシーンで、ナウシカという人間の清らかさを読み取れる演出そのものに目頭が熱くなってしまった。
宮崎作品はその演出の秀逸さに、ストーリーと関係がないところで、泣けてしまうことが多々ある。
映画では、「風の谷」「トルメキア」「ペジテ」とそれぞれの自治国があって、それぞれの正義を掲げて戦っている。
どれが正義で悪だなんて考えても、全ての視点で肯定できてしまう。
人はそれぞれの正義を掲げて争い続けていく。
戦い続けるというのは滅びていくことで、それも人間なのかなと思う。
でも諦めず粘り強く考えていくことが生きることでもあるんだと思う。
物語が進むに連れてナウシカにどんどん魅かれていく。
人として、こうであれたら良いのにということが、ナウシカに反映されている。
強さや理想、純粋さや弱さ。このような人が神様みたいに崇められていくんだろう。
最後には神様みたいになってたし。
そして大きなテーマの自然。
人間の都合を優先しすぎるあまり、退廃した世界(腐海)が描かれている。
人はそこから逃れるように生きている。
ナウシカは腐海の原因を土と水の汚れということがわかっている。
三重県の林業の方や猟師さんにお話しを聞くと、土と水の大切さを教えてくれる。
土と水を大切にするにはどうすれば良いのか?
山を大切にする。
山を大切にするってどうゆうこと?
多様性を認めていくこと。
植物も、植物を食べる動物も、山に多様性が戻れば、土の成分が元気になって、水が綺麗になって、川や魚がまた蘇ってくる。
いろんな生き物がそこにいる。
地道に山に広葉樹を植え続け、多様性を蘇らせようとしている方々の姿はまさにナウシカのようだ。
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