そこにいるということは、そこにいるということで。
何より本人が生きているというということを肯定しているから、そこにいるんだと思う。
頭で自分を否定し続けても、そこに生がある限り、思考以外の生命そのものは自分自身が肯定していて。
頭で否定しているものの正体はまた別のところに、それはあって。
それは分けて考えてみる。
頭が勝手に複雑にしていて。
頭と身体の一致する感覚だったり。
日々はバランスが良いところを探っていく旅で、実験をしているようなもので。
あまり身体と頭がちぐはぐなことをしないように。
身体は生き続けているということは、生き続けているということで。
その声を拾い続けるのが大切なんじゃないかなぁと。
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